9/30の記事を再考
http://d.hatena.ne.jp/hoofbeat/20090930/1254309079
いただいたコメントより
「中間とか選ぶ事はすなわち『治療を拒否』することだよ」
コメントが入ったのが素直に嬉しかった。内容がダメ出しもしくはお叱りであることにちょっとへこみつつも嬉しかった。そして自分なりに返事を書いてみた。書いてみた後で自分の書いていることがおかしいと気づき、フォローのつもりでまた書いた。その文もおかしかった。つけられたコメントとどこかずれた返事になっている。
そして、ふと、どういう人がコメントをつけてくれたのか気になった。ブログ訪問、数日分読んでみた・・・・ら、性分化疾患当事者その人だった!医学論文をいくつもいくつも読んできて、しかも15年前から自助グループを始めたという人だった!まさに「釈迦に説法」、私のつたない返信コメントがとても恥ずかしい。だが、恥の歴史として残しておく。
さて、それから2ヶ月越え、ブログを読ませていただくうちに、自分なりの乏しい知識見識でも納得する答えが出たと思う。なぜ中間とか選ぶ事が「治療の拒否」になるのか。
- そもそも「子供が成長するまではどちらにでも対応出来るように育てる」とはどういうこと?
- 私の記事および自己コメントを読むと、「育て」はするが「治療」はしないと読み取れる。書いていたときには自覚が無かった。情けない。これだけでまさしく『治療の拒否』だ。
- 「育てる」とは、ただ子供に心構えをさせて育てるのだろうか?
- その間に男にも女にも「なれない」体に育ってしまってはお終いだ。選択肢が一挙に減るし、生殖能力を取り戻すことは難しい。
- 生殖能力って大事?
- 大事だ。血を分けた子を必要としない人たちも世の中にはいるが(実は私もそうだ)、それは生殖能力があっても実現出来る。一方、子を授かりたいのに出来ないことで悩み苦しむ人々は世界中にたくさんいる。
- 何歳になるまで性別を決定する治療を保留にしていればいいの?
- 自己認識上の性別はある年齢に達すれば決定される、というわけではない。年月とともに変化もしうる。いつまで保留にすればいいかは不明だ。
- それが不明なら、新生児の時点から治療を開始させた方がマシなんじゃ?
- そういえるかも。ただ胎児のときにどうやって生殖器官が作られるかを考えたら、両性になりうるような治療は無理がある。そうすると、生殖能力を持つ体に治療するには、どうしても男か女かを選ばないとならない。そうでなければ治療方針がたたない。
- なら、成長後の子から「逆の性別が良かったのにどうしてこっちの性別にしたの?」と問いつめられたら親御さんはつらいね。
- そんな場合もあると考えた上で、それでも男女どちらかを選択するのだ。成功率が高い治療を選ぶなど、考えに考えた上での選択なら、子にそう説明出来るだろう。
- で、逆や中性・無性になりたかった子はどうなるの?
そうして現時点の結論は「新生児の時点で親は『男性と女性、どちらで育てるべきか。』の二択で考えざるをえない」になり申した。男女二元論はいやだけど、現在の医療で出来ることの限界らしいこと、今はこれがこれから生まれる当事者とその保護者を社会から「守る」、精一杯の方法なのだろう。
2010年10月9日追記
ずっと思っていた事だけど、自分で書いていてこの記事は気に入らないんだ。 どこがどう、というのをちゃんと書こうとするとうまくいかない。 それで手を付けずに今まで時間が経ってしまったけれど、 とにかく気に入らないということは書いておかねば。