白河ま日記(仮)

あたまわるいぶんしょうかくよ

男もすなる修行というものを、女もせんとす。

そういえば、前回の日記で『男の修行』を取り上げたが、いそ(山本五十六)が言ったからといってその「修行」を男はせねばならぬ、とは思わない。また、女が任意でやってもよいと思う。

なんでそんなことを言うかって? 子どもの頃、自分が女として産まれてきたことは知っていたが、さまざまな「男子はかくあるべし」という基準で己を律していた記憶があるからさ。(「基準」よりも当てはまる言葉があった気がするが、今は思い出せない) たとえば、「男たるものみだりに泣くものではない」を心がけ、涙を流さないようにしていた気がする。……とはいっても、怒ったときや悔しいときに泣いていた記憶もあるので、中途半端なものだったのだが。

今はグダグダだ。

苦しくて泣きたくなると、ふと『男の修行』を思い出すことがある。自室にいるなら、壁にかかるその文言を眺めることもある。そしてこらえようとしつつも、抑えることは精神衛生上必ずしも良くはないと思い出し、声を上げて泣き笑いをしたりもする。端から見ると怖いだろう。あとは……TPOだな。他人の目があってこらえるときに、『男の修行』は心の支えになるかもしれない。


なんだか良くわからない文章になったが投下。