白河ま日記(仮)

あたまわるいぶんしょうかくよ

私は自分のすね毛が好きだ。

すね毛だけでなく脇毛も腕毛も好きだ。
人様のすね毛脇毛腕毛だっていいものだ。



確かゲーム『メタルギアソリッド』の何作目かで登場する女兵士(美人)が、脇にちゃんと毛が生えているテクスチャになっていた。「兵士が脇のお手入れなんていちいちするわけがない」監督のこだわりが見られる一例だ。

私はこの話を二人の人物にふった。一人は弟で、監督に近い感覚の持ち主だと思う。女戦士でもビキニアーマーなんて危険なものより皮鎧でもいいから露出を抑えろという意見の持ち主である。もう一人は女性で、彼女と私がお互いに脇毛をのばしているのをお互いに知っている。私は「女兵士が脇毛をのばしている事の何がおかしいんだい?」という感覚を持っている二人に、こんな風に話をふってしまった記憶があるのだ、「女兵士の脇の下にわざわざ毛のテクスチャつけてるの、変だよね」と。

何故この二人にこんな話をふったやら。「何言ってるのこいつ」という怪訝な顔をされたのも当たり前である。逆に、私の話を否定されるために、無意識にその二人を選んだのかもしれないが、自分でも謎である。



脇毛が生えてきた頃はまだ学童時代で、体育の授業が水泳になる頃には剃っていた。すね毛はどうしていたか覚えていない。高校時代も同様で脇毛は処理していた。腕毛を脱色するなどして目立たなくさせている女子を見ると、自分もそういう気遣いをしなければならないだろうかという強迫観念じみた思いにつきまとわれつつも、「腕毛にはなにもしない」ことを貫いたのであった。すね毛はどうしていたか覚えていない。

そうして大学生になると、化粧をしたり、ストッキングをはいたりする女子学生たちが周囲に増えてくる。化粧はしなかったが、さすがに観念して、私もすね毛を剃ったり脱毛剤を使ったりしだした。なんだか情けない気分だったように覚えている。その上、剃ったり抜いたりする場所が、すね全体でなくすねや膝小僧の特に毛深いところで、かえって処理したところが濃くなってくる。なんだかまだらのすね毛になってしまった。就職して制服がスカートの場合は、すね毛の処理を続けた。ある職場で途中から制服が廃止され、私服で仕事をすることになった。パンツも許可だ。そうなると、もうパンツばっかり履いて、すね毛ものびのびと放置することになった。

水着も着ず、脇の処理もすねの処理もしない。自分の体がのびのびした開放感を得た気がした。(一時期、母に付き合ってプールに通った時は、わざわざ太もも上部を覆い腕も半袖の水着を買った。ビキニライン?なにそれ?すね毛も出すよ。)だから、今の職場でも最初は私服だったのでパンツばっかりだった。・・・・・・だが、制服が新調されることになり、私もそれを着ることになりそうだったのだ。http://d.hatena.ne.jp/hoofbeat/20090426/1240745401「彼とスカートと私」2005年のことであった。

その後ありがたいことに、この職場・・・今の職場であるが、タイトスカートの他にパンツの導入も検討して下さり、今はこの制服のパンツをはかせてもらっている。ありがたいことである。タイトスカートよりも経費がかかるのに導入して下さったことを感謝している。



そんなこんなで脇も腕もすねもフリーダムに毛を放置している。しかし、ふと、すね毛を抜きたくなることがある。特に濃い毛が一本、二本と他と離れて生えているところだ。だが、それは極端に言えば私にかかっている呪いなのだ。冷静になると、そんなとこいちいち気にしないで良いという気分になる。

ばっちり脱毛をキメている人は、それはそれでいいと思う。そうすることで許されるファッションというものもある。私はそのような服装をしないだけなのだ。