白河ま日記(仮)

あたまわるいぶんしょうかくよ

性と迫害

※2008年12月29日に元記事を書いています。見苦しすぎた部分など改稿。


今日は仕事納めでした。あー、なんかほっとしたからかなんでかわかんないけど心地よい眠気が。
眠る前に、このところ頭によぎらせてることをつらつらと書いてしまうよ。まとまってないよ。要点もへったくれもないよ。

『国連総会における性的指向性自認についての宣言』

創さんの日記のおかげで知った、「『国連総会における性的指向性自認についての宣言』を受けて」。

関連リンク二つ。

なにぶん世事に疎い私なのでなんとも言いがたいですが、日本国内で政府がどのくらい積極的に「性的指向性自認について日本国内には差別があるという事実を自覚しよう」「それらの差別をなくそう」というアピールをしているかとゆーと、多分あんまし効果的なことはやってないっちゅー気がいたすのです。というわけで、地道に草の根運動で広めなければならんとです。広めるためにはもっと伝わりやすい、人々が受け入れやすい文章で書いた方がいいわけで。日記書いてるうちにましな文章かけるようになるといいなぁ。

萌える人々

んで、「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」っちゅーものが差別と迫害の原因になったり助長させたりしているわけですが。

しばらく前に、同性愛を「萌え」の対象にする人たちはホモフォビアになる可能性が低いのではないかとぼんやり思ったり。(可能性ゼロとは言わない。「二次元ならいいけど本物はキモい」などという不埒者はいそうな気がする。)故に、腐女子腐男子や百合萌えの人々らは、セクシャルマイノリティにとって、敵よりは味方に近いのかもしれない。(敵味方に分ける二元論もどうかと思うが。)ただ、理解はしてもらわんと、平行線ではないにしても「ねじれの位置*1」で接点が持てない。(ごめん、「ねじれの位置」って言葉使いたかったの。)

あー、理解してもらう以前に、わし自身がセクシャルマイノリティを理解しとらんわー。

満たすことを許されぬ欲求に苦しむ人々

http://miyazakirumiko.jp/ 宮崎留美子さんのサイトにあるエッセイで、真っ先に読んだのは、http://miyazakirumiko.jp/Essey112.htm「No.112 私の発言をねじ曲げて受けとられても困る」でした。

それを読んだ後、色々読むうちに、かつて同性愛は「病気」である・・・つまり「治すことが出来る」と考えられていた時期があると知りました。 今では世界保健機関などからも「異常」「倒錯」「変態」「精神疾患」の類いではないと認定されています。

ん、で。

現在、ペドフィリア(幼児・小児性愛)の類いは「嗜好」であるとされているようです。少なくとも「異常」「倒錯」「変態」「精神疾患のようなもの」とされています。つまり「病気」扱いですね。しかし、かつての同性愛と同じように、ペドフィリアなどもいつかは「嗜好」ではなく「指向」であって、本人にはどうしようもないものである、治したり矯正したりできるものではない、という認定がされるかもしれないなぁと、ぼんやり思っています。確証はなーーーーーんもないんだけどね。

もちろん、本物の幼児・小児を性愛対象と性行為に及ぼうとするのは御法度ですぜ。
本物の幼児・小児を出演させるチャイルドポルノも御法度ですぜ。
乾き苦しむさだめを持つ、それがペドフィリア

*1:数学で知った用語。空間にある2本の直線が近づくことはあっても交差はしない状態。