2005年11月16日『彼とスカートと私』
(以下の文章に脈絡はありません)
己がスカートをはくことに抵抗があります。
しばらく前に、タイトスカートをはいて仕事をせねばならぬ事態になるところでしたが、先輩方に相談し、私ははかずにすむよう取り計らってもらえました。
相談した後でふと思う⋯⋯なんでこんなにイヤなんだろうな。
小学中学高校と学校はスカートが制服で、それをはいて12年間をすごしたんだよな。
社会人になってからも、制服がスカートのところでは、はいていたんだよな。
それでも今、はかずに済むものなら済ませたい。
何故かはハッキリしませんが。
小さい頃、お稽古ごとの発表会のために親から「おめかし」をさせられて、その花柄や別珍やレースやリボンやフリルを使ったワンピースが嫌でイヤでたまらなかった記憶があります。
着心地も、そういうものを身にまとっているという事実も、不快でした。
その一方で、少女趣味的な憧れを満たすその状態に、まんざらでもない気持ちだった記憶もあるのです。
どっちなんだ、自分。
わけがわからんぞ、自分。
しかし、どちらも本物の記憶なのです。
比率で言うと、不快な気持ちが圧倒的に強かったのですが、この矛盾する気持ちの有り様は、確かにどちらも自分が感じたものでした。
記憶力に自信がない私でも、それははっきりと言えます。
何年も前の事、ある男性が私にちょっとした頼みごとをしました。
——そこのスカートをちょっと貸して、一度はいてみたい——
そうして借りたプリーツスカートをはいた彼は、ちょっとスカートを両脇につまみ上げてみたり、くるりと回転したりしたのです。
その表情は嬉しそうでした。
その一度で満足したのか、それ以来、彼からスカートを貸してと頼まれることはありませんでした。
そのとき、男性による「スカートをはいてみたい」という欲求に対して、私には不快感に属する気持ちは起こりませんでした。
たぶん、男性の中に普段封じ込められているであろう少女趣味的なものへの憧れの存在をすんなりと認められたからかもしれません。
それは、私自身の中にも存在するそれが、私自身により半ば封じ込められているであろうことに関係があるかもしれないし、ないかもしれません。
で、話は戻って。
今、スカートをはいて仕事をしたいかというと、嫌なのです。
嫌なもんは嫌なのです。
それは本心なのです。
自分で自分がわからん。
11月18日追記
それにしても、読み返すとこの日記(?)はホントにわけわからんなー。
「スカート」と「少女趣味」はイコールじゃないとか、いろいろ突っ込みどころあるしな。
(「存在を認める」て偉そうにもとれるな。違う−そんなエラソなつもりで書いたんじゃないんだー・・・)
でもこれ、筋の通った文書にするには、筋を通して考えないといけないんだよな。
・・・・・・・・・・気が向いたらやってみるか。
(そしてこのまま忘れる。)
2009年04月26日追記
そして書き直しも再考もなく、そのまま掲載。